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2010年6月14日 (月)

左手のコンチェルト

左手だけで演奏活動をされているピアニスト舘野泉さんのエッセイ。

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舘野さんは、演奏会中に脳溢血で倒れられ、その後、右腕に麻痺を残しながら、演奏活動を再開されご活躍されているそうです。
40年の活躍のキャリアを持ちながら倒れられ、復帰を念頭に、熱心にリハビリにも取り組まれたそうです。
「ピアノは両手で弾くもの」という思いから、はじめは頑なに左手のための曲を拒んでいたそうですが、ふとしたきっかけで左手の曲を弾いてみると「海が広がるような」気分になられたとか。
左手一本だから両手に比べて音楽の質が落ちるわけではない、3手や4手(二人で連弾)に比べて一人で弾くことが音楽的に劣るわけではないように、左手の演奏でも、自分の音楽は十分表現できると。
それまでに培われてきた音楽は私の体の中に生き続けているので何を失ったわけでもない、とおっしゃいます。

次元はずいぶん違いますが、すりやが、左手で字を書くことに案外早く慣れて、かつての自分の字くらいは書けるようになったことの理由が書かれているような気がしました。
量がありますが、心に残ったところを抜粋します。


以前の僕もそうでしたが、ピアノというのは両手で弾くのが当たり前だと
誰しも先入観を持っているものです。だから、ほとんどの人は「片手にな
った」というと、音も音楽も半分になったとか、質も量もマイナスになった
と思うわけです。音楽全体の表現が簡略化されて易しくなっているのか
と考えてしまう。

復帰して以来、もう僕にとって、一本の手で弾くとか、二本の手で弾くと
かを区別したりするのは意味のないことになりました。新しい音楽の表
現や新しい楽器だと考えればいいのです。実際に三手の連弾というの
もあるのですから、二手より一手が貧しく不完全な音楽だとすれば、同
様に三手より二手は不完全なのか、不足があるのかと言うことになりま
す。そんなはずはありません。もちろん演奏する者にとっては、困難なこ
ともありますし、不自由を感じることもあります。しかし、それは、だから
と言ってそこから生まれた音楽に不自由さ、不充分さがあるとは限らな
いでしょう。一手だろうと、二手だろうと、よりよい音楽表現を目指してい
るということには変わりはないのです。しかもそこに、これまでと変わら
ぬ音楽の喜びを僕は感じています。

僕が左手でピアノを弾くようになってから、「左手だけで不自由でしょう」
「右手が早く使えるようになるといいですね」「いままで弾いてきた膨大
なレパートリーが脳溢血で一瞬に消えてしまって、さぞ口惜しいでしょう」
と言われることがあります。でも、僕はそんなことはまったく思いません。
左手だけになって不自由や不足もないし、音楽の表現をするのに、何の
不満もありません。左手だけでは表現できないということは何もないの
です。不自由とか不足があるというのは、先入観の問題ですね。いまま
で弾いてきた膨大なレパートリーがなくなったとも思いません。たしかに
現実には演奏できないけれど、いままで弾いてきたものは、自分の血と
なり肉となり呼吸となって、脈々と息づいているのです。失くしたわけで
はありません。なんの不足があるでしょう。

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