« 見た目を気にして 2010 ⑤ | トップページ | 素直に助けを求める »

2010年12月21日 (火)

過去の自分は...

先日(といっても秋の話ですが)、義手使いの大先輩とお話させていただく機会がありました。義手暦5年以上の経験にもとづくお話は圧倒的な説得力で、 なるほど納得の充実した時間でした。
そんな話の中でいただいた印象的なコメント、
「今、人目が気になるのは、そこに以前の自分がいるからですよ。
とてもドキッとしました。

「両手があったら自分はどうしているだろう」
と考えるということなのか、それとも、
「両手があった頃は、障がい者のかたをジロジロ見ていたから、自分もジロジロ見られている」
と感じている、ということなのか。
そのときは、分かりませんでしたが、「見た目を気にして」をまとめる中で、どうも「あなたもかつてはジロジロ見ていたんですよ」とおっしゃっていたのだろう、と思い当たりました。
露骨に態度に出さないにしても「色メガネ」で見ていたのでしょう。

今、すりやが「こう扱われたくない(見られたくない)」と思っているのは、 立場が変われば「自分ならそうしていただろう」という無意識の予測から来ているような気がするのです。こんなこと、認めたくないし黙っていたいことですが、どうも、そんな気がします。
一方で、自分の思いと反する受け止められ方をしたとしても、それはそれで納得できます。うれしくはないけれど、そういう受け取り方になるのも分かるよな、と。これも、立場が逆なら自分もそうしていたかもしれないという思いがあるからかもしれません。

他の人が感じることに、いろいろと注文をつけることはできません(例えそれが自分の子供であっても)。
それは、その人の自由だと思うから。
すりやにできるのは、周りの人がいだく印象に関わる自分の見た目や振る舞いに気をつけるところまでです。
だから、わけ隔てなく接してくださる方に対しては本当にありがたいと感じるようになったのです。自分ならそんな風にできるだろうか?

すりやが幸運なのは、自分にとって大切な方々が、「色メガネ」で見ることをせずに、ごく自然に接してくださっていることです。だからこそ、少しゆとりを持って嫌われてもいいや、と思えるのかもしれません。

「君が今の僕を見たら、どう感じて、どういう風に接していただろうね?」
4年ほど前の、両手がある自分の写真を見て、ふと、そんな問いかけをしてみました。

|

« 見た目を気にして 2010 ⑤ | トップページ | 素直に助けを求める »

考え事」カテゴリの記事

コメント

義手の先輩のお言葉分かります。
私は逆に「誰でも珍しい物は見てしまうことが当たり前」と思ってからラクになりました。
多分、自分も見てしまうだろうなぁと。
間逆のようで同じような感覚なのかもしれません。


投稿: ま~ | 2010年12月22日 (水) 12時20分

なるほどね~、確かに珍しいものは素直に気になりますよね。
目がいく、ということだけでしたら「チラ見」が苦手です。
「気になったら、どんどん聞いてよ!」と思うのですが、
声はかけられないんですね。

最近、すりやは(障がいとかに関わらず)気になったことは
何でも聞いていくように心がけていますが、
なかなかできないものです(^-^;
一緒のことですね~。

投稿: すりや | 2010年12月25日 (土) 00時13分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 過去の自分は...:

« 見た目を気にして 2010 ⑤ | トップページ | 素直に助けを求める »