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2011年2月12日 (土)

ベストの選択をしよう

右腕をあきらめたとき、当時、すりやのことに責任を負っていた“たまちゃん”からかけていただいた言葉。

「右腕は残念なことになった。
これから、最高の義手をさがそう」


言葉だけを見るとちょっと冷たい感じを受けるかもしれませんが、すりやは、この一言で一気に気分が明るくなり、ちょっと大げさですが、未来に向かって進んでいこう、という気分になりました。

そのときの私の心境を想像いただけるよう、かいつまんで経緯をお話します。

すりやは、怪我をしてから2週間弱、右腕を助けようと頑張っていた期間があります。詳細は省きますが、取れた右手をお医者さんにくっつけてもらって、元通りにしようとしていたんですね。
縁が欠けたコップを陶芸屋さんに持って行って、欠けた破片をくっつけるよういろいろ修理を試みてもらう、といった状況をご想像くさい。

いろいろと手を尽くしていただいた末に、断念したのですが、最後の処置のあとにかけていただいたのが、はじめの言葉です。

“いろいろと手を尽くして”と書きましたが、それは本当に、寝転がっているだけの私にも伝わるくらい、考えられるすべてのことを、とりうる最高の方法で施してくださったのです。お医者さんも病院も、会社の仲間もご近所さんも、そして家族も。

もしかすると、すりやが受けた治療よりもすばらしい方法も存在するかもしれません。だけど、何よりも重要だと思うのは、その瞬間、「いちばんよい方法を選んでもらっている」と感じることができたことなのです。
だからこそ、主治医の外科医先生から
「もう少し右腕のために頑張ることもできるが、
残った体の機能を大切にしたほうがいい」

といわれた時、素直に納得できたし、お任せしようと思えたのだと思います。
さっきの欠けたコップ、これ以上やると、直るかもしれないけど新たな致命傷が増える可能性もある。欠けたところを避けて使えば、欠けたままでも半分以上は水も入れられるし、コップとして使い続けられるけど、どうする?と聞かれたような感じです。

外科医先生のお話のあと、力の限りを尽くしてもらって、それでも届かないという事態に、悔しさがあまりない、ちょっと満足感も混ざった“挫折”を感じていました。周りの全員が全力なのに、それに応えるだけの治癒力が、自分の体になかったためによい結果に結びつけることができなかったわけですから。
「これだけやってもらってもだめなら、無理ってことね」と納得ずくなのです。
で、ゲームセット、願いかなわずお話は終わりだ、と思っていたところに、「これから、最高の義手を探そう」といわれたのです。「まだまだこれからなんだよ」といわれたような気がしました。
治療も、復活のための取り組み(リハビリ)も、(そのときは意識していませんでしたが)すりやの人生も。

退院して数ヶ月経ってから、“たまちゃん”と話したときに、改めて言われました。
その時々で、ベストの選択をしていこう
振り返ると、確かに、ベストの選択を積み重ねてもらっていたと感じます。考えられることは全部やってみて、その結果、右腕を失った。だから、未練や怪我以降の処置に後悔がないのです。今、私が右腕をなくしたことについて、気持ちの整理ができているのはこの辺りに根っこがあるのだと思います。

最高の義手を探そう...
今の富三郎もいいセンいってると思うけれど、最高といえるだろうか?
あの時周りのみんながすりやにしてくれたような底抜けの取り組みができているだろうか?
まだまだ、いけそうな気がします。
もっとやれることをやらないと。

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