考え事

2012年9月19日 (水)

進むべき道

社会復帰とか自己実現とか、難しそうなことも単純なことも、今までは怪我をする前と同じところに戻って、「怪我していなかったら進んでいただろう」と思われる方向に進んでいくことを目指してきました。それが、「復帰すること」だと思っていたから。
一方で、今の状況をうまく活かせる方向に進んでいく方法もあります。これまでやってきたことにこだわらず、新しい世界に踏み出すわけですが、すりやには、目標から「逃げている(道を踏み外している)」ように感じられ、何とか「復帰する」路線でいきたいと考え続けてきました。
最近のことですが、
職場で一番お世話になってきた恩人“まっちゃん”からこんなことを言われました。
「怪我をした経験、または障害を持っているということを、強みとして活かせる手段はなにか?強みにできる進路、業務はなにか?ということを考えている。」
ものすごくありがたいことです。おそらく、本人以上にすりやのことを考えてくださっているのではないでしょうか。
それと同時に、とても進歩的な印象を受けました。まっちゃんの言葉に「逃げる」ような雰囲気は微塵もありません。

まだ、考え中ということで、進むべき道は示してもらえませんでしたが(それは自分で見つけるものでしょう)、これまで、「何が何でも元の道に戻る」と意地になっていたのを、もうちょっと柔軟に考えよう、という気持ちに切り替わりました。
当面は、そんなことも考えながら、今、与えられたことに手を抜くことなく取り組んでいきます。

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2012年2月14日 (火)

喪失感

うっかりしていて過ぎてしまいましたが、2月12日はすりやにとっての「右腕をあきらめた」記念日でした。喉もと過ぎればと言いましょうか、ホントうっかり忘れていました。
(すりやは、怪我したときから数日間、腕の接合を試みてもらっていました。結局、上手くいかず、「あきらめる」ことになったのでした。)
誰かに、「ものすごい喪失体験だよね」と言われたことがありますが、実はそれほど「ものすご」くはなかったような気がします(これまた、喉もと過ぎてしまったから忘れちゃったかな?)。
思い出せる体験で、最も「喪失感」のようなものを強く感じたのは、近視で初めて眼鏡をかけることになったときです。そのときは、まだ視力は0.7程度でしたが、「このままどんどん視力が落ちていったら、0.0になって見えなくなっちゃうんじゃないの?!」と、とても心細くなったものです。右腕の場合は、最悪で切断、上手くいけば少しでも元に戻るかもしれないという期待があり、どこまで行くのか分からない底なしの不安感ではなかったからよかったのかもしれません。
私の気持ちとしては、「上手くいけばもう少し...」はまだ続いています。以下は、書きかけで放ってあった2年くらい前の文章です。あまり状況に進展はありませんが、今も変わらず同じような気持ちだなと思ったので、ご紹介いたします。

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いつか、手が失くなったことを
「とっても大きな失くしものをした」
と感じるときがくるのではないかと気にしています。
それは、なんでもないときに、突然やってくるように思うのです。

頭では分かっています。
なぜ失くなったかも、どのように元に戻そうとしたかも、
右手をあきらめたあとにどうやって日常の生活に戻ってきたかも、
分かっています。
すべて納得ずくで、
概ね自分の希望のとおりに進めてこさせてもらったと思います。
だから、
すべてのきっかけである怪我した瞬間を除けば、
すべて理解しているつもりです。
頭では。

でも、気持ちはどうなんでしょう?
自分では分かりません。

こんなタイミングで喪失感が襲ってくるんじゃないだろうか、
という予測日は何度かありました。

最初は、包帯が取れたとき。
初めて段端(腕の残っている部分)や自分の体を
鏡に映してじっくりと見ることができたときです。
次は、怪我をした場所に実際に行ったとき。
その場を想像はしてきましたが、
実際にその場に行ってみたら何かが急に襲ってくるのではないか?
その次は、日本に帰ってきて仕事に復帰したとき。
今までは、いわば旅先での出来事、夢の中の事件
と、どこかで思っていたかもしれない。
本当の自分の居場所で、現実を突きつけられたときが危ないのでは。
そして、義手への取り組みがすべて終わったとき。
もうこれ以上の発展は無いということが分かったときが、
本当の症状固定(怪我の後遺症の程度が確定すること)のときで、
それが自分のリハビリのゴールだろうなと思っています。

すりやは、義手によって生活の便利さが変化しているので、
怪我の状態の改善(手が生えてくるとか)は見込めないけれど、
未だ症状固定していない=回復途上と認識しています。


そのときに、
本当にこれ以上のことは出来ないということがわかり、
右手がなくなったことがどれだけのものなのかが分かると思います。

今のところ、
予想された区切りのポイントで大きな喪失感は襲ってきてはいません。
それとなく小さい波が来たことは二回あります。
一つは、富三郎が完成したとき。
「やった!できた!」てはなく「出来上がっちゃったね」という感じ。
楽しかったお祭りが終わってしまったときの寂しさのような感じでした。
喪失感とはちょっと違いますね。

もう一回は、
主治医から「(現時点では)筋電義手は処方しない」と言われたとき。
自分の可能性を閉ざされたように感じたのですね。
あっけなく義手への取り組み、進化に終わりを告げられたようで、
とてもがっかりしました。
とはいえ、「今の時点では」ということだと思い直し、
「いつかはきっと」と考えています。

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2012年2月 2日 (木)

最近、気になること

右腕を怪我した日がやってきました。特別なイベント(反省したり、外出を控えたり)はありませんが、ひとつの記念日、節目の日です。
最近、気がついたら怪我した瞬間のことを思い出そうとしている、ということがときどきあります。布団に入って眠る前とか深夜の電車など、ボーっとしているときに。
「運が悪ければ、腕だけですんでいなかったかもしれないよな~」、って。
怪我した直後から今に至るまでに、日常生活に戻るために周りの皆さんにどれほど助けていただいているかを忘れることはありません。また、なぜ怪我するようなことになったかということも、おおよそは整理できています(同じことを繰り返さないようにしないといけませんから)。
怪我した瞬間(1.5秒くらい)のことだけが思い出せない、というか見ていなかったからわからないのです。だからでしょうか?どんなラッキーが起こって今の程度で済んだのか、気になるみたいなんですね。それが分かったとしても何かが変わることはないし、むしろ、そんなこと考えているうちに、運が悪い場合がちょっと想像されちゃったりしてヤバイ気持ちになったりもするのですが...気になるのです。

おかげさまで、すりやは、今、幸せに暮らしています。
今につながる可能性を残してくれたのが何だったのかを知りたいのかな?

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2011年12月27日 (火)

一寸先は...わからない

「一寸先は闇」ということわざがありますが、「闇」というよりは「わからない」という感じかな、と思います。
「闇」というと悪いイメージがありますが、とても良いことが起こることもあるわけで、ちょっと先のことは予測できないものだ、と思います。
自分も、数年前には、左手で字を書いているなど考えもしていませんでしたが、いまや、それが自分にとっての普通です。
それが良いとか悪いとかいう話ではなくて、慣れたというか、日常化したな、と。「上手に書けない」「ノロい」「たくさん書けない」とか感じてイライラしたこともありましたが、いつの頃からか「こんな程度だ」という感じで、何も思わなくなったようです。「右手だったら、もっと...」なんて思っていた時期もあったな、とコレ(ブログ)を書いていて思い出すくらいに忘れていました。

「慣れるってこんな感じなのかしら?」
メモをとっているときに、ふとそんなことを感じました。

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2011年10月 4日 (火)

誰のための装飾義手?

お久しぶりです。
あっという間に9月が終わり、気がつけば10月になっていました。9月は、仕事でたくさん文章を書いたためか、ブログの方は書きかけで放ってあるものが溜まる状態に。遅ればせながら、少しずつ、アップしていこうと思います。
そんなわけで、一月ほど前のお話です。

久しぶりにネクタイをして出張に出ました。クールビズが終わりそうな、まだ続いているようななか、お客様と会う予定でしたので。
ネクタイは普段はつけていないので、やや息苦しいし、やはりまだまだ暑いもの。ついつい、目的地直前の駅でネクタイを装着することになります。その日は、ちょっと早めについたので、コーヒーショップで時間調整をしていて、そのまま、席でネクタイをつけました。ネクタイをするには、右手(=義手)はフックの方が便利なので、ネクタイをつけるまではフックで、ネクタイをつけると同時にフックから装飾ハンドに付け替えました。これまた、コーヒーショップの席で。
端の方の席で控えめに作業はしましたが、どちらかというと人前です。
手先を交換するとき、なんとなく人前で堂々とやるのは気が引けるので、これまではトイレに行って交換したりしていました(手首から先だけの手が転がっていたり、突然手首から先が外れたりすると、びっくりしますよね)。最近、ちょっと横着して新幹線の席で座ったまま、ササッと換えたりしています。

考えてみると、装飾ハンドはネクタイと同じような位置づけになってきているようです。好んで着用するわけではないけれど、少しフォーマルな格好をするために必要なもの、とでもいいましょうか。たぶんネクタイも、周囲の人からすれば(特に夏は)あってもなくても気にならないものでしょう。目に付くものなので、センスの良し悪しは見られているでしょうが。無難なデザインであれば、存在感はないはずです。

時々、電車の中でお化粧している女性を見かけます。たまたま、すぐ近くに立ったときは、お顔ができていく様子が、よく見えてしまうのですが、たぶん、あのオメカシは誰かと会うときの自分のためであって、それまでにお化粧が出来上がればよいのでしょうね。間違っても、その道中で乗り合わせた人たちに見せるためのおメカシではないから、乗り合わせ客にどう見られていようが構わない、そもそも、そんなこと気にしていないのかも...
すりやの装飾義手も、そんな感じのような気がしてきました。
では、だれのため?
最近、さほど見た目(人の目)も気にならなくなってきている中で、なぜ、装飾ハンドを持ち歩いて、交換するのでしょう?何のため?誰のため?自分のことながらちょっと振り返ってみると、装飾ハンドをつけている時間は、できるだけ短くしようとしています。だから、目的地到着直前に付け替え、仕事が終わればすぐにフックに戻す、といった具合。
お仕事相手は、さして気にしないでしょうし、街中ですれ違う人は関心すらないでしょう。ナノになぜ?

なんとなく、答えが見えそうになってきているのですが、まだ、ぼんやりとしています。考えて出てくるというよりは、いろんな経験をして場数をこなすことでたどり着けそうな気がします。急ぐ必要はないですが、気になる答え。
半年後か、数年後か。これかな、というものに思い当たるときが楽しみです。

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2011年7月23日 (土)

子供のためだか、自分のためなんだか

最近、装飾ハンドの出番がめっきり減りました。
去年は、朝夕の通勤時は装飾ハンド、職場に着いたらフックに取り替える、ということをしていましたが、今は家を出るときからずっとフックです。昔(といってもほんの一年前)は、「敢えて通学中の小学生の目を引くような格好をする必要もないよね」なんて思っていましたが、今は平気ですれ違っています。ときどき振り返る子もいますが、30人に1人くらいでしょうか。大して注目されないものなんですね。
そういえば、「子供たちが何か言われたりしないように」と思って、家の近所ではできるだけ装飾ハンドを着けるよう気をつけていましたが、先日も、村祭りに何気なくフックのままで出かけていたりと、当初の気遣いはい薄れてしまいました。
つまりるところ、「子供たちのことを考えて」と言いながら自分が注目されたくなかっただけなのかな?
どうやらそんな気がします。「子供のため」という大義名分のようなもので、自分の気持ちのバランスが取れていたのでしょう。ということは、家にこもらずに出歩いていられたのは、子供たちのおかげ?
今となってしまえば「結果オーライ」で、そんなこと考えてたこともあったよね、という程度です。時間が解決してくれたのでしょうね。
すりやが、社会復帰するための心のささえになってくれた装飾ハンド。出番は徐々に減っていくのでしょうが、まったく要らない、ということにはならないでしょう。
これからも、愛用していきます。

091023_091814
すりやの装飾ハンド。
ある意味、本物以上に美しい右手です。

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2011年3月25日 (金)

施しを受ける

東北関東大震災で被災された方への義援金を集めようと毎日、街頭にいろんな方が立たれています。地元企業の方、商工会、学校、少年野球チーム、などなど...
家に帰ると小学校や保育園から募金を募るお手紙が届いており、職場でも同じような動きがあります。すぐにできる活動なので、募金したいと思うのですが、はてさてどこを通じて募金していけばよいのやら...
最終的には行き先は同じで、窓口はどこでもよいのでしょうか?

そうした募金活動を見ているうちに、昔のことを思い出しました。

右手の傷が落ち着いて、はじめの病院を退院したあと、しばらくリハビリのために通院していました(ストレッチがメインで義手はまだ登場しません)。
通院は、仕事復帰後も続き、そのうち、仕事帰りに病院に通うようになりました。そんなリハビリ(第1期)終盤の頃のお話。

ある日のリハビリが終わり、会計待ちで椅子に座って待っていると小さい子が近づいてきてお金を差し出しました。その子が座っていた方を見ると、おばあさんが手まねで
「いいから取っておきなさい」
といいます。

すりやは、施しを受けたのです。

おばあさんは、お金持ち風のアラブ人でやさしいまなざしですりやを見ていました。瞬間的に、「施しを受ける身の上ではない」と思って拒否しかけましたが、説明することが難しいのと、これを受け取ることであのおばあさんが幸せな気分になれるのならそれも意味があるかもしれない、などと思いながら、つい、受け取りました。
案の定、
おばあさんもお使いしてくれたチビちゃんも笑顔になり、満足そうでした。
でも、お金をもらったすりやは、とても複雑です。

お金をもらうのは極端な話だとしても、今まで、たくさんの親切な心遣いをいただいてきました。
その中には、
「これは自分でできます」とか「そこまでしてもらわなくても」、
と感じることもあります。そんなときは、助けようとしてくださった気持ちに感謝しながら助けてもらうかどうか、選ばせてもらったらよいと思います。
一方で、自分が誰かの力になりたい場合、何かしたいと思ったことは、とにかく働きかければよいと思います。思い通りに役立てることもあるでしょうし、見当違いのこともあるかもしれません。それは、ご本人の判断にゆだねましょう。
そして、助けるときの動機はどんなものでもよいと思います。特に継続する必要がない「スポットお助け」であれば、流行でも、偽善でも、思いつきでも、自己満足であっても構わないと思います。助けを必要としている方が「助かる」と感じられることが大切だから。

アラブのおばあさんがくれたお金は、帰りに病院の玄関にあった募金箱に入れました。すりや以上におばあさんの気持ちを必要としている人に届いてくれたらいなと思います。

震災への募金も、窓口にこだわらず、ともかく動こうと思います。

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2011年3月 6日 (日)

後遺症?

仕事していても、遊んでいても、ふとしたときに義手のことを考えています。見た目が気になるとかではなくて、どうしたらもっと使えるだろう、便利になるだろうって。

もはや、趣味みたいなものかもしれません。

でも、あんまり考えすぎるとほかのことを考えているときにも頭をよぎるので、集中が途切れるんですね。
もしかして、これは広い意味では後遺障害?

周りの人がそのうち忘れてくれることを期待しているなら、自分も忘れちゃうくらい気にならないようになることを目指すべきなのかな?
目指すというか、そういえば気にしなくなっていたというときがやってくるのかな?

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2011年2月12日 (土)

ベストの選択をしよう

右腕をあきらめたとき、当時、すりやのことに責任を負っていた“たまちゃん”からかけていただいた言葉。

「右腕は残念なことになった。
これから、最高の義手をさがそう」


言葉だけを見るとちょっと冷たい感じを受けるかもしれませんが、すりやは、この一言で一気に気分が明るくなり、ちょっと大げさですが、未来に向かって進んでいこう、という気分になりました。

そのときの私の心境を想像いただけるよう、かいつまんで経緯をお話します。

すりやは、怪我をしてから2週間弱、右腕を助けようと頑張っていた期間があります。詳細は省きますが、取れた右手をお医者さんにくっつけてもらって、元通りにしようとしていたんですね。
縁が欠けたコップを陶芸屋さんに持って行って、欠けた破片をくっつけるよういろいろ修理を試みてもらう、といった状況をご想像くさい。

いろいろと手を尽くしていただいた末に、断念したのですが、最後の処置のあとにかけていただいたのが、はじめの言葉です。

“いろいろと手を尽くして”と書きましたが、それは本当に、寝転がっているだけの私にも伝わるくらい、考えられるすべてのことを、とりうる最高の方法で施してくださったのです。お医者さんも病院も、会社の仲間もご近所さんも、そして家族も。

もしかすると、すりやが受けた治療よりもすばらしい方法も存在するかもしれません。だけど、何よりも重要だと思うのは、その瞬間、「いちばんよい方法を選んでもらっている」と感じることができたことなのです。
だからこそ、主治医の外科医先生から
「もう少し右腕のために頑張ることもできるが、
残った体の機能を大切にしたほうがいい」

といわれた時、素直に納得できたし、お任せしようと思えたのだと思います。
さっきの欠けたコップ、これ以上やると、直るかもしれないけど新たな致命傷が増える可能性もある。欠けたところを避けて使えば、欠けたままでも半分以上は水も入れられるし、コップとして使い続けられるけど、どうする?と聞かれたような感じです。

外科医先生のお話のあと、力の限りを尽くしてもらって、それでも届かないという事態に、悔しさがあまりない、ちょっと満足感も混ざった“挫折”を感じていました。周りの全員が全力なのに、それに応えるだけの治癒力が、自分の体になかったためによい結果に結びつけることができなかったわけですから。
「これだけやってもらってもだめなら、無理ってことね」と納得ずくなのです。
で、ゲームセット、願いかなわずお話は終わりだ、と思っていたところに、「これから、最高の義手を探そう」といわれたのです。「まだまだこれからなんだよ」といわれたような気がしました。
治療も、復活のための取り組み(リハビリ)も、(そのときは意識していませんでしたが)すりやの人生も。

退院して数ヶ月経ってから、“たまちゃん”と話したときに、改めて言われました。
その時々で、ベストの選択をしていこう
振り返ると、確かに、ベストの選択を積み重ねてもらっていたと感じます。考えられることは全部やってみて、その結果、右腕を失った。だから、未練や怪我以降の処置に後悔がないのです。今、私が右腕をなくしたことについて、気持ちの整理ができているのはこの辺りに根っこがあるのだと思います。

最高の義手を探そう...
今の富三郎もいいセンいってると思うけれど、最高といえるだろうか?
あの時周りのみんながすりやにしてくれたような底抜けの取り組みができているだろうか?
まだまだ、いけそうな気がします。
もっとやれることをやらないと。

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2011年2月10日 (木)

信じるものは救われる

前回は、シャンプー話が長くなっちゃいましたが、本題の“不思議な経験”です。

集中治療室中盤戦のある日、心拍数が140くらいになったまましばらく下がらなくなっちゃったことがありました。行進曲がM.M.=120で、それ以上ってことは結構速いよな、などと思っていたら、だんだん気になってきて、別のことを考えようと思っても余計気になるのです。そうこうしているうちに150近くなって、何だか苦しい感じが...
走ってるときなら、走るのをやめたら落ち着きますが、こんな寝てるときってこれ以上どうラクにしたらいいの?

ややパニックになりかけていたときに、回診の先生が来てくださったので、「脈が速くて苦しいのですが、どうしたらよいでしょうか?」と聞きました。
先生は、何かの薬の指示を出され、そのあとにマリア様のように優しく話してくださいました。
「気分を楽にして、治療の経過はあまり気にしないようにしましょう。みんな、あなたの体がよくなるように考えて、力を合わせていますから。みんなで助けますから、なんでも言ってくださいね。」
(クリスチャンではありませんが、なんだか“マリア様”って感じがしたんです、そのときは。女医さんでしたし、ちなみにお綺麗な方でした。)

そうしたら、なんと、苦しかった動悸が和らいで楽になってきたのです!
確か、薬を投与される前です。つまり、言葉だけで症状が改善したのです!!
実際には、脈拍は依然140overでしたが、間違いなく体は楽になりました。
その後、ピッピとうるさい心拍数モニターの音を消してもらい、薬も効いたのか、程なく本当に脈は落ち着いたのですが、先生の優しい言葉って、あんなに効果があるのですね。

言葉がなくとも伝わってくる気持ちもあります。先ほどのマリア様先生とは違う、外科の主治医先生です。本当に昼夜分かたず診てくださり、これはと思ったらすぐに手を打つ(手術含む)という感じで、この先生はいったいいつ休まれているのだろう、と思いました。
そんな手厚い治療に加えて、回診や処置のあとにニッコリと微笑んでくださる笑顔が、「この先生が何とかしてくださる」という安心感を与えてくれるのです。
オーラというのでしょうか。
この外科医先生の言葉は、いつも「痛みますか?」の一言だけなのですが、大きな信頼感がある方でした。

マリア様先生と外科医先生、タイプは違いますが、すりやの気持ちを落ち着かせて、治療のために力を発揮できるような環境をつくってくださったのです。

「病は気から」の反対なのかな?
お医者さんでも看護師さんでも、その方を信じることで、治療がスタートするような気がします。

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